2008年06月13日

秋葉原事件での被害者撮影問題

http://www.j-cast.com/2008/06/12021731.html
>週刊新潮2008年6月19日号では、亡くなった2人の友人である東京電機
>大学生の怒りを紹介した。この学生は、応急処置のできる人がすぐに
>集まったものの、倒れた2人を携帯電話やデジカメで撮っている野次馬
>が周りにたくさんいたと告白。
>「不謹慎だから止めて下さい!」
>こう叫んだが、みな止めようとはしなかったという。学生は、ミク
>シィの日記でも、このことを書き、「なんなんだよお前ら、馬鹿ばっ
>か・・・カメラぶっ壊してやろうかと、携帯逆折りしてやろうかと そう
>思った」「・・・なんで? 悔しくて涙が止まらなかった」と打ち明けて
>いる。
・・・誰でも良いからと刺した加藤智大と、不謹慎なのは当たり前なのに改めて注意されても死にかけて苦しんでいた、もしくは既に死んでいた被害者の撮影を止めなかった人達は、ある面で同類でしょう。自分以外はどう感じようがどうでも良かったんです。
もっとも身辺整理をしてから犯行に望んだ等という加藤は、それを境に人の理の外に出る(まともな人間ではなくなる)との認識を持っていたでしょうが、その人達はお気楽な楽しみの為に悲惨な犯罪で苦しむ者、もしくは死者を撮影し、今はテレビでも見て笑っていたり、スヤスヤと幸せに眠っていることでしょう
そこは人間として自重のしどころです。それがわからない人間は不謹慎というより、まともに育った人間ではありません。それを論外と感じる当たり前の人間からすれば、どちらもモンスターです。

>「なんなんだよお前ら、馬鹿ばっか・・・カメラぶっ壊してやろうかと
>、携帯逆折りしてやろうかと そう思った」「・・・なんで? 悔しくて涙
>が止まらなかった」
もしかしたら、亡くなった被害者もこう語った友人と同じく、薄れ行く意識の中で同じように思い、理由もなく刺された上に晒し者になって死んで行く惨めさを感じていたかもしれません。被害者の友人に言われたり、警察官に怒られても撮影を続けた人達だって、ほんの数分ズレていれば自分が被害者となっていたかしれないんですがね。
そのような想像力だってないわけではないんでしょうが、現実として自分は被害に遭わず、凄い非日常を安全に撮影できる環境にあるので、「せっかくだから写真くらい撮らせてもらおう、別にそれ位いいじゃん」とおまわりさんに叱られようが、被写体が苦しんでいようが、現実にはそうなるわけです。そういう人達は自分の友達に位は善行を施すかもしれませんが、それ以外の人達にはそういうスタンスなわけです。
犯人の加藤は無差別殺人鬼ですが、もしその光景に切れて誰かが彼らを刺しまくっていれば、その人は無差別殺人鬼とは呼ばれず、2chなんかでも英雄と持ち上げる輩も多く現れたかもしれません。
要するに、一応加藤も含めて、それで全てではないかもしれないにしても、まともな人間とそうでない人間がくっきり分かれる踏絵が秋葉原に広げられたわけです。
考えてみれば、例えばクラスメイトの何割がその状況で被害者の写真を撮るでしょうか。生きて行く上で、そういう人達とでも上手く付き合わなければならないことも多くありますが、基本的にはまともでない人間にはそれに見合った扱いをしなければならないでしょう。そうすればそういう人達も少しは減ると思います。現実的に。

秋葉原無差別殺傷事件“記念撮影”する傍観者たち

秋葉原通り魔 若者らが救助活動

秋葉原殺傷:アキバの常連たち オタクの流儀で冥福祈る
ご冥福をお祈りいたします。
コメント欄
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
トラックバック欄
この記事へのトラックバックURL [承認制]
http://blog.seesaa.jp/tb/100340566


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。