2008年05月31日

【捕鯨問題】銛で殺される鯨と胃液で殺される魚

テレビで見たことがありますが、牛を屠殺する際には巨大な針を多分エアガンのようなもので牛の頭に打ち込みます。すると、一瞬体を強張らせ、次の瞬間には崩れ落ちます。それは1、2秒の話です。しかし、鯨は銛を打ち込まれてから死ぬまでに最長15分かかるそうです。それを根拠に鯨が可哀想と捕鯨反対派が訴えます。
しかし、その鯨も残酷な餌の殺し方をしています。彼らは魚やイカなど噛まずに丸呑みです。そして四つある胃の1つ目で餌をある程度潰すようです。しかし、歯で噛むわけではないので、そこで死ねればまだマシですが、死ねないと第二の胃で溶かし殺されることになるでしょう。もっとも鯨の腹の中に水がなければ魚は窒息死するでしょうが、海の中だけに消化されるまでに生きてしまうだけの水はあるかもしれません。毎日膨大な量の魚達がそうやって殺されています。
どの殺され方も嫌ですが、私は胃液で生きながらに溶かし殺されるのが一番怖いです。銛を打ち込まれる鯨だって気の毒ですが、そうやって人間に殺され、食べられるのも鯨が魚を残酷な食べ方をするのと同様に、一つの自然な食物連鎖だと思います。

また、オーストラリア人たちは、世界で、そして日本でオージービーフが売れれば、きっと喜び勇んで牛を何百、何千と追加で殺します。殺すために育てる牛の数だって大喜びで増やすことでしょう。そりゃ「商品」が売れて儲かれば嬉しいですから、気持ちはわかります。
しかし、その同じ人達が、鯨が殺され、食べられれば大騒ぎです。鯨は可愛いし頭が良いから絶対ダメで、牛はそうじゃないから幾らでも喜んで殺して売るよ、という人達から牛肉を買うのは、果たして好ましいのでしょうか?どうせなら、牛も鯨のように大切にする人達から買いたいものです。

例えば、日本人だってイルカに手を出すのには引きます(実は鯨とイルカは大きさが違うだけで明確な区別はされていません)。しかし、それは鯨なら殺して良くてイルカはダメだということではありません。単に引くから止めておこうという話です。好みの問題で区別しているのであり、オーストラリア人のように、知能が高低に言及して区別・差別するわけではありません。好みの問題であれば、牛だって何だって可哀想なら出来れば殺すのは止めようという話になります。しかし、知能で区別してしまえば「牛ならOK」となってしまいます。一見知能で区別する方が高等に見えますが、好みで区別する方がどうも「命の平等」をスローガン(単なるスローガンですが)として掲げる現代の人間では寛容であり、人間として高等です。好みの問題であれは、現代では「あれは殺しても良いんだ」なんていう人はいない、というか周囲にまともだとは思われないですし。つまりはオーストラリア人は日本人より低質だということです。早く考え直して日本人並になってくれるのを心より期待しましょう。何と言っても好みの問題ですので、完全に線を引いて(捕鯨反対の)オーストラリア人を区別することはありません。寛容ですから。

日本への捕鯨批判、より攻撃的に
前線で頑張っている人達には気の毒ですが、良い感じですね。(笑)

国営放送:オージー捕鯨問題で在豪日本国大使をコケにする

アホですね。

テキサス親父が日本人の為に吼えた!

外人でもこういう人もいます。
この人は、抗議する連中は仔牛料理の店に抗議に行けなどと言ってますので、日本人と同じで知能で動物を区別しようなどとは露ほどにも思っていません。この様子だと、牛は知能が低いから殺して食っても別に良いと思いますよ、などと言ったら唖然としてしばらく口が利けないでしょう。
コメント欄
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
トラックバック欄
この記事へのトラックバックURL [承認制]
http://blog.seesaa.jp/tb/98713065


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。